ひぜんとうきかまあと |
国指定史跡・遺跡(窯跡) |
肥前陶器窯跡 |
指定年月日 |
昭和15年2月10日 追加:平成17年7月14日 |
所在地 |
武内町大字真手野 |
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焼物の里を謳っている武雄市の焼物づくりは、約400年前の文禄慶長の役に遡ります。
従軍した武雄領主後藤家信が連れ帰った朝鮮陶工が竹古場山の麓を中心に登り窯を築きました。以後、脈々と焼物作りは受け継がれ、今では市内に凡そ90ヵ所の窯跡が知られています。中でも黒牟田系の土師場物原山と錆谷窯跡、内田系の小峠窯跡と大谷窯跡の4ヵ所が比較的残存状況が良好で、陶器窯跡として代表的なものとして、昭和15年に史跡に指定されました。
平成17年には、唐津市や多久市の窯跡が追加されました。
【小峠窯跡】製品は、鉄絵装飾から刷毛目・象嵌・型紙摺りなどがみられ、青磁や染付磁器の製造も試みています。17世紀初頭から前半の操業。
【大谷窯跡】製品の主体は大皿や鉢で、刷毛目や二彩の装飾がみられます。この他、磁器や京焼風陶器などがあります。17世紀後半が操業の下限。
【錆谷窯跡】製品は全て陶器で、椀や小皿が中心です。鉄絵装飾の製品は少なく、皮鯨手は比較的多くみられます。17世紀初頭頃の操業。
【土師場物原山】窯で焼けた不良品を捨てたところで、約110mにわたって小山状に堆積しています。製品には黒釉や青釉の土瓶などがみられます。
江戸時代中期から後期のものが多いようです。
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小峠窯跡 昭和初期の土師場物原山 平成3年調査時の錆谷窯跡 |
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