武雄市の文化財
たけおなべしまけようがくかんけいしりょう 国重要文化財・歴史資料
武雄鍋島家洋学関係資料 指定年月日 平成26年8月21日
所在地 武雄町大字武雄5304番1 武雄市図書館・歴史資料館

 本資料は武雄領主だった鍋島家が収集したものや、鍋島家の命にて作製されたものなどを含む江戸時代中期から幕末[1720〜1860年代]にかけての洋学関係資料です。文書・記録類 1,304点、標本類 4点、和書・訳書類 284点、洋書類 133点、絵図・地図類 36点、図面類 159点、写真 7点、器物類 297点の全2,224点からなる一大資料群です。

 本資料は封建社会から近代社会に移行する際の日本における西洋科学技術の受容に関する非常に貴重な歴史資料群です。資料の中には、欧米列強の脅威に対抗するために取り組んだ大砲製造・砲術等の軍事技術に関するものや、各種学問の基礎研究のための洋書の辞典など多種多様な資料が残されており、当時の西洋科学技術を研究し習得していく過程がわかります。

 江戸中期以降、日本周辺では欧米列強による東アジアへの進出の動きが高まります。大国清ですら動揺し、日本も開国へ向けて欧米諸国の圧力が高まり、植民地支配の脅威にさらされていました。対して国内では幕府は体制を守るため異国船打払令を発令し、蛮社の獄では蘭学者中心に弾圧し、鎖国下では西洋の学問等に対する締め付けの強い時期もありました。なお、開国した後も欧米列強との軍事力・技術力の差は歴然としており、欧米の干渉を撥ね退けるためにも、日本各地で西洋の進んだ技術の習得が進められます。

 なお武雄の鍋島家は、佐賀本藩の親類同格に位置づけられる家で、藩の請役(筆頭家老)を務める家柄でした。佐賀藩は福岡藩と共に鎖国下で、朝鮮王朝を除く海外への唯一の窓口であった長崎の警備の任に当りました。そして、文化5年[1808]、英国籍軍艦が長崎港に侵入するというフェートン号事件に遭い、佐賀藩は欧米列強との力の差を痛感します。そのようななか、長崎を通して数々の海外の資料を収集し西洋科学技術の研究を進めたのが鍋島茂義[1800〜1862]、そして新政府軍と旧幕府軍の戦いのなか、圧倒的な軍事力で、その研究の成果を世に知らしめたのが、その子 鍋島茂昌[1832〜1910]でした。

 本資料は当時の貴重な資料が数多く良好な状態で残されていることが評価の対象です。加えて、武雄領主の集めた資料が散逸することなく、当時洋学研究に励んだ「武雄」の地に現在もあることに大きな価値があります。

 詳しくは武雄市歴史資料館の
重要文化財「武雄鍋島家洋学関係資料」(武雄鍋島家と洋学資料について)

含まれているそれぞれの資料については、
主な武雄鍋島家洋学関係資料

をご覧ください。

武雄市教育委員会 文化・学習課文化財係