踊りの起源については一説によると、文治元年(1185)の壇ノ浦の戦い以後、平氏一門は分散し、正治2年(1200)平維盛の子六之助を初めとする一団が武雄に流れ着き、第6代武雄領主後藤常明はこれを船ノ原に住まわせました。彼ら平家の公達は、京で習い覚えた踊りを踊って無聊を慰め、酔えば「かんこかんこ」と踊ったことが始まりとされます。

 毎年秋分の日に氏神社の鎮守八幡神社で奉納され、出演者はモッショ・カキ・笛・鉦・地囃子からなり、衣装や所作・円陣の組み方など荒踊と共通するところが多く、荒踊の祖形とも推定されています。

 踊り手は、かんぱんとよばれる長袖で丈の短い上衣を着て、化粧前垂れをつけ、黒脚絆に白足袋、わらじを履き、頭には烏帽子をかぶり、腰に1刀を差します。演目にはふりこみ・本踊・うちでがあり、ふりこみは道行であり、幟を先頭に先モッショ・カキ・後モッショの順に両手を横にあげて、上下に動かしながら境内に入り、円陣を作ります。本踊では先モッショ踊りが終わると、後モッショ踊りとなります。力強い腕鉾と踏み足、軽快な所作や雨乞い的な歌詞等に特徴があります。

 浮立は毎年奉納されますが、かんこ踊の演目は西暦偶数年に奉納されています。

かんこ踊

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