武雄市の文化財
せきぞうやつなみのとう 1基:武雄市重要文化財・建造物
石造八並の塔 指定年月日 昭和49年4月15日
所在地 武雄町大字富岡 八並区長崎街道路傍


石造八並の塔
 この塔は石製で、総高3mの石塔婆です。基礎・塔身・屋根・相輪の4つの部分から構成され、相輪の伏鉢から上は円形で、露盤から下は矩形をしています。相輪の上部と屋根の一部を破損していますが、ほぼ全形をとどめています。屋根の下には3段の段型が設けられ、屋根と露盤が1対で造られています。塔身の下部には張り出しがあり、その下の基礎は屋根に比べて極端に小さく調和に欠けています。当初は塔身が生け込みされていたものを、現在地に移設する際に基礎石が付けられたと推測されています。構造や様式から、室町時代頃の建立とみられます。
 この石塔には次のような伝説が残されています。それは、建久4年(1193)源頼朝が富士の裾野で催した巻き狩りで、曽我兄弟が父の仇工藤祐経を討ちましたが、兄の十郎は殺され、弟の吾郎は捕らえられ鎌倉で獄死しました。十郎の許婚者であった虎御前は、黒髪を切り落とし、兄弟の冥福を祈るため善光寺の尼僧になり、小城に岩蔵寺が建つと聞いて九州へ下ってきました。途中、四国と中国にそれぞれ兄弟のための供養塔を建て、3番目に建てたのがこの八並の石塔と伝えられています。




武雄市教育委員会 文化・学習課文化財係