武雄市の文化財
たけおなべしまけもんじょ 62通:武雄市指定重要文化財・古文書
武雄鍋島家文書 指定年月日 昭和50年4月25日
所在地 武雄町大字武雄5304-1 武雄市図書館・歴史資料館

武雄鍋島家文書1

武雄鍋島家文書2
 武雄鍋島家は、20代までは後藤を名乗っており、前九年の役(1051〜62)で戦功のあった後藤章明が、塚崎荘の地頭となったのが始まりとされます。その後、時代を追うごとに勢力を広げ、戦国時代には杵島郡内の有力豪族に成長しました。安土桃山時代の内紛で龍造寺の配下となり、21代からは鍋島姓を名乗り、幕末に至る29代まで武雄の地を領した家柄です。
 武雄鍋島家に残されていた古文書は3千点を超えますが、最も古い正応2年(1289)「蒙古合戦勲功章神埼荘配分状」から慶長年間まで、時代別では鎌倉時代1通、南北朝時代12通、室町時代4通、安土桃山時代45通の中世文書として分類された合計62通が指定されています。
 この中には「豊臣秀吉塚崎温泉掟書」という天正20年(文禄元年=1592)に出された秀吉の朱印状があります。秀吉の命により鎮西町名護屋に駐屯した10万余の軍勢は、朝鮮出兵の戦陣の疲れをいやすために、多くの将兵が塚崎の温泉に訪れ、地元の人々に迷惑をかけることもあったようです。秀吉は次のような掟を出して、これを取り締まりました。




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