たっちゅう |
1基:武雄市史跡(墓地) |
立中 |
指定年月日 |
昭和53年3月9日 |
所在地 |
山内町大字鳥海 |
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船の原区に立中(塔頭)さんと呼ばれ、親しまれている五輪塔があります。第18代武雄領主後藤純明の室で、銀室妙金大姉の墓碑といわれています。
五輪塔は高さ1.4mあり、火輪の四隅に突起を持つ有耳五輪塔と呼ばれる形式で、最下段の地輪に「銀室妙金」、その上の水輪に種字が刻まれています。
妙金尼は島原の有馬尚鑑の子で、兄は晴純(仙岩)です。有馬氏と後藤氏とは敵対関係にありましたが、享禄3年(1530)有馬氏が住吉城を攻め、後藤氏は夜襲によってこれを打ち破りました。和議が整い、妙金尼が純明に輿入れしましたが、その後も有馬氏との戦いは絶えず、妙金尼は実家である島原には帰れなかったそうです。
純明の死(天文22年=1553)後、この地に庵をむすび、天正18年(1590)に生涯を閉じるまで信仰の生活を送ったといわれます。当時は境内3畝21歩、寺領として田1畝10歩、畑1畝13歩があったとの記録があります。
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