武雄市の文化財
すみよしじょうあと 1城:武雄市史跡・城跡
住吉城趾 指定年月日 昭和53年3月9日
所在地 山内町大字宮野

 住吉城は、黒髪山(516m)東山麓の丘陵地に築かれた居館をかねた平山城です。築城の年代は明確ではありませんが、中世に武雄地方を支配した後藤氏が戦国時代以降の本格的な普請を経て、現在の規模・形態になったと考えられます。当時後藤氏は塚崎(武雄)城とこの住吉城とを拠点として勢力を保っていたようですが、家信の代の天正14年(1586)になってこの城に居城を固定化したようです。しかし、慶長4年(1599)の火災により、再び塚崎城を本拠としたと伝えられており、この間に現存する主要な遺構が造られたと考えられます。
 現在は、空堀や石垣の一部、井戸が確認でき、主郭は平面形が変形五角形をしており、帯曲輪・腰曲輪がついています。南側には城域を画する空堀を配し、主郭の外周全体に大規模な空堀と二重の土塁を巡らせ、北側に正面虎口(出入口)を設けています。主郭の南東側には桝形をした井戸があり、県下の城郭に例をみないものです。
 江戸時代に製作された「宮野村住吉御城跡図」には城内の施設のほか、城下の街路や総構(城下町を守るための空堀や土塁などの防御線)跡などが描かれ、往時の姿を想像することができ、西九州における戦国武将の居城の実態を知る上で貴重です。



住吉城趾

武雄市教育委員会 文化・学習課文化財係