武雄市の文化財
たけおくんちのやぶさめぎょうじ 1団体:武雄市重要無形民俗文化財・年中行事
武雄供日の流鏑馬行事 指定年月日 平成7年11月8日
所在地 武雄町武雄

武雄供日の流鏑馬行事-エイトー
エイトー
武雄供日の流鏑馬行事-上り馬行列
上り馬行列
武雄供日の流鏑馬行事-流鏑馬
流鏑馬
 供日とは秋祭りのことで、神様に新穀をお供えする日といわれています。武雄の供日は旧暦9月23日、現在は10月23日に行われます。そのはじまりは、源平争乱の時代にさかのぼります。寿永3年(1184)平家追討を進める源頼朝は、密使を武雄神社にやって平家追討を祈願し、白鷺が源氏を守護したので、勝利をおさめました。文治2年(1186)、頼朝は教書を送り戦勝を深謝し、さらに後鳥羽天皇の勅使藤原基氏と鎌倉の使者天野遠景をやって戦勝を報告させました。彼らが武雄に着いたのは9月21日で、武雄領主後藤宗明は神主守門と打ち合わせて23日に武雄神社に参詣し、神事が終わったあと流鏑馬を奉納して神慮を慰めました。これが武雄神社の秋祭り(武雄供日)のはじまりと言われています。
 武雄供日の流鏑馬行事は、22日の宵祭から始まります。宵の祭りは甘久区が担当で、夕刻になると供え物をもって武雄神社に集まり、神事の後拝殿で荒踊を奉納し、行列を組んでエイトーを唄いながら長持を青竹で叩いて市街地を経由して甘久公民館まで戻ります。23日は、武雄神社から射手奉仕が八並に弓をもって行き、下西山区からは御神馬が八並に向かいます。御神馬が到着すると勅使や鎌倉の使者・諸役が行列をなして武雄神社に向かいます。これを上り馬(行列)といい、武雄神社に到着すると浄めの儀が行われ、神事の後、馬場透をし、御神輿が下宮にお下りし、また本殿にお上りします。この後、流鏑馬の射礼と競射が行われ、当り的渡しが済むと下り馬(行列)となります。行列は市街で追い馬をし、八並公民館に戻ったところで締めが行われ、一連の行事が終了します。




武雄市教育委員会 文化・学習課文化財係