御船山

北川重春(きたがわしげはる)(1931〜1981)


たそがれの街


 たそがれの街(1953年 国画会初入選作)
  (作品を紹介した「北川重春回顧展」図録は こちら 

 1931(昭和6)年、武雄の桜町で生まれた。旧制武雄中学(現在の武雄高校)を卒業後、現在の武雄中学の教師を務めたが2年で退職、武蔵野美術学校に入学した。しかし貧しい境遇から学費も払えずここも1年で退学、以後は武雄に帰り創作を続けた。
 デッサンの技量に裏打ちされた感性豊かな作品は、当時、一水会の常任委員であった納富進の目にも留まり幾度もの励ましを受けたが、北川自身はさらなる意欲を示さなかったように見えたという。「遠くの風景を指で作った輪の中に入れて、構図を決めている北川の姿は、武雄の町のここかしこで見られた。落ち着いた雰囲気のようであるが、次の瞬間には走るような足取りでどこかに消え去って行く。何を考えているのか、町の人の目には風変わりな存在に思えた」(知人談)。
 北川は、70年代初め頃まで武雄で活動を続け、その後は佐賀へと拠点を移す。作品を通覧すると、初期の暗い色調から、後に明るい色調へと変化していくことがわかるが、武雄時代(30歳代)の作品に際立って熱のこもった作品が見られる。1981(昭和56)年2月、北川は佐賀市の自宅で急性心不全のため孤独な死を遂げた。
 彼の死後、知人・友人らの支援で、佐賀と武雄で2度の回顧展が行なわれ、それを機に夭折のこの無名の画家に注目が集まるようになった。回顧展の画集に、ある友人は「彼は寡黙にして、しかも非常に繊細な心の持ち主であり、他人(ひと)を傷つけることを決してしなかった。自分が傷ついたとしても…。彼のような澄んだ眼の持ち主になりたいと思ってはいるが、なかなかできないままである」と結んだ。

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