御船山

広渡心海(ひろわたりしんかい)(1806〜1888)


萩の尾茶屋雪景山水図


 広渡心海作「萩の尾茶屋雪景山水図」
  (有田家コレクション 武雄市蔵)

 武雄の第20代領主後藤家信に起用されて以後、代々武雄鍋島家の御用絵師を勤めた広渡家の絵師。実は広渡家には通常、二人の心海がいる。一人は、京都遊学中に宮中の御用を命じられ、1664(寛文4)年に「法橋」の官位を授けられた4代目の心海(法橋心海)である。この後、広渡家の支流は江戸時代中期の元禄年間(1688〜1704)頃から、長崎の唐絵目利職を世襲し、長崎画壇の中心として活躍することとなった。
 その一方、武雄での広渡家は一時、後継が絶えてしまったため、領主鍋島茂順が家臣の中から絵の技量に優れた加々良良寛を指名し、広渡家を継がせたという。これがいま一人の広渡心海で、武家に生まれたものの広渡家8代目として江戸で狩野派に学び、幕末期を中心に活動した。法橋心海と区別するため、良寛心海と呼ばれている。
 絵画を好み、自らも皆春斎の雅号で多くの作品を残した武雄領主の鍋島茂義とほぼ同時代の人物で、茂義のほうが6歳年長であるものの、茂義に絵画を指導した人物と伝えられる。
 残された作品は主に掛幅のような小品が多いが、墨の濃淡の使い分け、肥痩を活かした描線などに流暢さを感じさせる。紹介するのは、武雄を画材にした珍しい作品で、雪化粧をほどこした御船山が描かれている。心海、76歳の作品。武雄領主の別邸であった萩の尾茶屋、現在の御船山楽園の池の辺りから描かれたものであろう。
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