御船山

杉原荒太(すぎはらあらた)(1899〜1982)


杉原荒太


 杉原荒太 日ソ国交回復交渉に奔走

 明治32年8月28日、杵島郡中通村(現武雄市山内町)船の原に生まれる。幼少の頃から自由闊達(かったつ)で向学心に燃え、旧制鹿島中学校、旅順(りょじゅん)中学校を経て、大阪高等商業(現大阪市立大学)を卒業後、外務省入省。米国ヴァーモンド大学留学。帰朝後、南京総領事(なんきんそうりょうじ)・外務省企画課長などを務め、昭和21年条約局長を最後に退官。昭和25年6月から佐賀地方区選出参議院議員として4期24年務める。この間、鳩山一郎内閣では国務大臣・防衛庁長官を務めるなど、永年国政に参与(さんよ)した。
 外交官時代には、戦前・戦中・戦後の困難かつ複雑、激動の日本外交を背負い、特に鳩山内閣の「日ソ共同」の際には、その中心的推進者として活躍し、日本外交史上に高い評価と大きな足跡を残している。参議院外務委員長、自由民主党参議院政策審議会長、同党党紀委員長を歴任し、昭和47年勲一等瑞宝章(くんいっとうずいほうしょう)を受章。昭和49年政界を引退した。
 この功績に対し山内町では、昭和49年名誉町民の称号を贈り、昭和51年には山内公民館前に胸像と功績碑を建てて、その功績を称えている。

※この稿については、写真・文ともに武雄市文化連盟寄贈の陶板(武雄市蔵)から転載した。

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