御船山

岩崎卯一(いわさきういち) (1891〜1960)


岩崎卯一像


 関西大学構内に建つ岩崎記念館と岩崎卯一の胸像
 35万平方メートルの広大な面積を有する関西大学千里山キャンパスの一隅、関西大学博物館に対峙するように岩崎卯一の名をとどめる「岩崎記念館」がある。外国語研究機構、英語教育連携センターとして利用されており、建物正面には彼を顕彰する胸像がある。

 「あしたゆうべに仰ぎみる みふねの山の気高さよ あかるく広きこの胸に 高き理想はもゆるなり」。今年開校100周年を迎える武雄高校の校歌の一節である。
 1954(昭和29)年、校歌の作詞を手がけた岩崎卯一は、現在の武雄市武雄町出身の社会学者で、第二次世界大戦直後の関西大学学長を務めた人物。佐賀商船学校、旅順夜学校などで学んだ後、1911(明治44)年、兵庫県警察署詰、県警察語学講習所から同練習所を卒業、1913(大正2)年7月、神戸警察署で英語通訳事務に当たった。同年9月、関西大学専門部法律学科に入学、特待生となり在学中に弁護士試験に合格した。1915年卒業、この年の暮、同大学初の海外留学生として渡米、コロンビア大学で政治社会学を研究、ドクター・オブ・フィロソフィーの学位を取得した。1921年に帰国、関西大学専任教授に就任、1934(昭和9)年に初代文学部長、さらに初代図書館長を経、戦後、1947年には関西大学出身者として初の学長(第17代)に公選され、1953年、56年と三期務めた。同大学史上、初物(はつもの)()くしで時代を画す人物として、その名は今なお燦然と輝いている。
 また、日本社会学会理事、九州大学・京都大学講師、大阪府人事委員会委員等、学内外での要職も歴任、『社会学序説』(1928)『社会本質及び社会学』(1941)『現代国家学説』(1957)など多数の著述があり、同じ佐賀県出身で、日本における社会学・経済学の理論体系の確立者として知られる高田保馬(たかだやすま)(1883〜1972)と双璧をなすと言えよう。
 1947(昭和22)年、岩崎は関西大学学長として、新しい教育理念「関大ルネッサンス」を標榜、「われらの大学は、いま文化的ルネッサンスのあけぼのを迎えんとしている。・・真理の探究にのみ全生命を賭して悔いざる学徒は、いかなる種類の権力の(むち)にも、あえて闘争する熱意と勇気とを固く把持せねばならぬ」と述べ、「正義を権力より守れ」と謳い、戦後の荒廃にうち沈む学生たちを鼓舞した「学生諸君に告ぐ」(1947年5月『関西大学新聞』)は、現在も同大博物館に榜示されている。この熱く(たゆ)みのない気骨は現代の若者の心にも深く刻み込まれている。

※本稿は、関西大学ホームページを参考に記載した部分がある。

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