平成19年度 武雄市図書館・歴史資料館ミニ企画展

武雄の蘭書

 武雄の第28代領主鍋島茂義(1800〜1862)は、軍学・医学・天文学・測量術など、西洋の進んだ科学技術に感銘を受け、それらを進んで導入しました。その際に、自分だけでなく家臣たちにも蘭学(西洋の学問)を学ぶことを奨励し、このことが佐賀藩の躍進へとつながっていきました。武雄には、蘭学導入に関する資料が数多く残されており、その中に138冊の蘭書があります。
 今回のミニ企画展では、図録『蘭学の来た道』に掲載している蘭書を中心に展示し、紹介したいと思います。

場所:蘭学館ミニ展示コーナー(観覧無料)
期日:平成20年1月17日(金)〜平成20年4月16日(水)


武雄蘭書
   
 
 

『武雄蘭書』

19世紀前期〜中期 武雄鍋島家資料

 武雄の旧鍋島男爵家に伝わった蘭書は有馬成甫氏が昭和32年の調査にもとづき、「武雄蘭書目録」(『武雄の蘭学』昭和37年、所収)を公表して以来、「武雄の蘭書」と呼ばれている。この目録には69部138冊が記載されており、その138冊すべてが武雄市図書館・歴史資料館に現存している。
 このうちオランダ語の原書は59部128冊である。この59部の蘭書は武雄領主鍋島茂義が天保5(1834)年に長崎に行き、高島秋帆を武雄に招聘して西洋砲術を学び始めた頃から安政年間(1854〜1860)まで、およそ25年間、蘭学研究のため購入したものである。

 
 


『蘭船持渡の蘭書目録』と『西洋原書簿』
   
 
 

『蘭船持渡の蘭書目録』と『西洋原書簿』(写真左上)

19世紀中期 武雄鍋島家資料

 武雄には、天保10(1839)年から安政7(1860)年頃までの蘭書目録が22冊残されている。目録は、本来、天保10年の「蛮社の獄」の際に、蘭書の検閲用に作成され始めたが、後には、幕府が必要とする蘭書の選択に用いられ、それがさらに、武雄など蘭書の購入を望む諸家の間に拡がっていった。
 西洋原書簿は茂義没後の文久3年(1863)2月、彼の手元に残された西洋書をリスト化したもの。分野別に262冊の書名が記されている。

 
 


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