平成20年度 武雄市図書館・歴史資料館ミニ企画展

描かれた西洋

 ナポレオンが1798年にイタリア遠征を行ってから1815年にセント・ヘレナ島に流されるまでの戦争を総括してナポレオン戦争と呼びます。これは、兵力動員、戦力などの軍事技術に大きな変革をもたらした戦争で、19世紀、日本が導入を図った近代的西洋軍事学が実践された始まりといえます。また、佐賀藩に大きな衝撃を与えたフェートン号事件の契機となった戦争でもありました。そのため、オランダ経由で持ち込まれて訳述されたナポレオンの伝記は、偉人研究から兵術研究へと広がる一方、幕末の志士達の精神的な糧ともなったのです。武雄に残る蘭書の中で、唯一の伝記もナポレオンのものです。
 今回展示する石版画は武雄の旧家が所蔵していたもので、ナポレオンのフランスにおける戦いや1853年から1856年までクリミア半島を主な戦場として起きたクリミア戦争を画題としています。いずれも、武雄第28代領主鍋島茂義の砲術免許状で裏打ちされていました。限られた情報の中から、西洋の動きを読み取ろうと務めていた当時の人々の興味の広がりを推し量る資料の一端を御覧いただければと思います。

 下に、展示品の一部をご紹介します。

場所:蘭学館ミニ展示コーナー(観覧無料)
期日:平成20年8月22日(金)〜12月17日(水)


フランスの戦い
   
 
 

フランスにおける戦い −CAMPAGNE DE FRANCE−

 1814年3月20日、シャンパーニュ地方の町アルシ・シュール・オーブで、ナポレオンは部隊を再編成して連合軍に対する最後の戦いを挑みました。翌3月21日、すぐ横に砲弾が落ち炸裂したにもかかわらずナポレオンは無傷で助かり、2万8千人の将兵と共に敗走しました。図は、砲弾炸裂直後の場面です。

 
 

バス勲位授与式
   
 
 

Plate23 バス勲位授与式
  −THE INVESTITURE OF THE ORDER OF THE BATH−

 クリミア戦争を描いたこのリトグラフは、ウィリアム・シンプソンが作成したものです。彼は優れた報道画家で、クリミア戦争の現場から報道を続けたことで「クリミアのシンプソン」とうたわれ、その名は広く当時の世界に知れ渡りました。
 シンプソンは、イギリスがクリミア戦争に参戦した1854年の冬から1年間にわたってクリミア半島に駐在し、砲弾をかいくぐりながら現地の戦場の様子をイギリスの新聞に送りつづけました。帰国後に80枚の絵をクリミア戦争の記録として、デイ・アンド・サンズ社のリトグラフによりコルナギ社から出版。好評を博しました。当館には、このうち6枚が収蔵されています。
 上の絵は、タイトルが『バス勲位授与式』、「1855年10月29日発行。セバストポリへの進軍の前、イギリス軍本部にて」と説明が付いています。

 
 


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