平成23年度 武雄市図書館・歴史資料館ミニ企画展

絵葉書・鳥瞰図に見る

観光地武雄の姿

 北方から鳴瀬・塩田を通って嬉野へ至っていた長崎街道の主街道は、江戸時代中期、北方—柄崎—嬉野ルートへ変更されました。これにより武雄は宿場町として発展、多くの湯治客・宿泊客が武雄温泉を訪れるようになりました。明治28年には佐賀〜武雄間に鉄道が開通、また大正4年には武雄温泉楼門・新館が完成し、武雄は観光地としてよりいっそうの賑わいを見せるようになります。この頃になると、様々な観光案内や絵葉書が発行され、観光や旅への思い・憧れを膨らませる材料にもなりました。
 今回の展示では、その一部をご紹介いたします。

場所:蘭学館ミニ展示コーナー(観覧無料)
期日:平成23年1月21日(金)〜平成23年4月20日(水)




 絵葉書は明治20年半ば頃に日本にもたらされ、明治33(1900)年10月1日、私製葉書の発行が認められたのを機に一般にひろまった。建物や町並み、乗り物など、絵葉書から各地の状況を知ることができ絵柄も自由に選べる絵葉書は、たちまち人気を得た。武雄温泉・武雄神社・御船山など、武雄を代表する風景が選ばれ、その数は数十種類にも及ぶ。


御絵はがき
   
 
 

御絵はがき

昭和10(1935)年頃 吉田初三郎作
個人蔵

 大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師吉田初三郎が描いた、武雄温泉と萩之尾公園の絵葉書。武雄温泉の図には「明治十二年之武雄温泉図」と書かれてあり、古図を参考にして描かれたものと思われる。

 
 

武雄温泉絵葉書
   
 
 

武雄温泉絵葉書

大正期〜昭和初期 武雄温泉旅館東洋館発行
個人蔵

 カラー写真による印刷ではなく、白黒写真に色をつけたもの。現在のように、色分解による製版ではないため、色のバランスに不自然さが見られる。

 
 

佐賀県管内全図
   
 

佐賀県管内全図

明治28(1895)年 武雄市蔵

 明治28年4月26日発行の佐賀県地図。それまでの広域的に「柄崎」と呼ばれていた武雄が、新町名・新村名とともに「武雄」呼ばれるようになったことがわかる。また、同年5月5日開業の鉄道も地図上に描かれている。裏面には、佐賀県の総論とともに各郡内の概論が記される。それによれば、当時の佐賀県は、戸数11万1,100余、人口53万3,800人余であった。また、佐賀市は「県下第一の都会」と記されるものの、人口はわずかに2万8,000人余であった。

 
   

武雄町交通鳥瞰図
   
 
 
武雄町交通鳥瞰図

武雄町交通鳥瞰図

昭和10(1935)年頃
吉田初三郎作
武雄市蔵

 日本全国図の中で、武雄温泉部分だけを極端に拡大した形で描かれているため、距離感や位置関係は必ずしも正確ではないが、武雄の名所や主な施設などが図示されている。

 
 


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