平成22年度 武雄市図書館・歴史資料館企画展 武雄の絵師 広渡心海 広渡家は武雄の領主後藤家信の頃から御用絵師として起用され、代々武雄の絵師として活躍しました。近世の広渡家2代目広渡万右衛門の弟雪山が一時期広渡家を相続しましたが、万右衛門の子心海が成人するとすぐに家督を譲り、武雄の絵図方を継承させ、雪山自身は佐賀本藩の御抱絵師になりました。心海は、絵の勉強のために京都に滞在中、朝廷の御用を命じられ、寛文4(1664)年、当時の絵師の最高の称号であった『法橋』の勅許を得ました。 |
場所:企画展示室(観覧無料)
期日:平成22年4月10日(土)〜5月23日(日)
広渡家系図
広渡法橋心海(?〜1703) 武雄領主鍋島茂和に仕えた広渡万右衛門の子に生まれ、武雄鍋島家に仕える。江戸で狩野益信の門人となり、絵の稽古として京都に滞在中、度々禁裏(宮中)御用を命ぜられ、寛文4(1664)年閏5月12日、絵の名手に対して与えられる「法橋」の官位勅許を得る。延宝2(1674)年に始まる京都での禁裏新院造営では、襖絵制作に参画、内侍所東之間に花鳥図を描いた。 | |||||||||||||||
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広渡雪山(?〜1674) 広渡万右衛門の弟。万右衛門の子三弥(のちの心海)が幼少のため、万右衛門の家督を継いだ。寛永14(1637)年の天草・島原の陣には、絵図方として従軍した兄万右衛門と行動を共にした。武雄領主から知行10石を受けるが、三弥の成長により家督を譲った。承応3(1654)年には、鍋島家御抱え絵師であった狩野宗俊が亡くなったことを受け、同年、佐賀本藩に15石5斗で召しだされ鍋島家絵師となり、延宝2(1674)年に没するまでの20年間を過ごしたと思われる。 | |||||||||||||||||||||||||||||
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広渡心海良寛(1806〜1888) 広渡心海良寛は、文化3(1806)年、西田小路に生まれた。広渡法橋心海の系譜は、守行の子弥三左衛門と、守行の弟権八の代で跡絶えたため、文政11(1828)年10月5日、幼少より絵の器量に優れた武雄家重臣の加々良判兵衛広胖の次男良寛が、武雄領主鍋島茂順より起用され、権八の跡を継ぎ、広渡心海の名を継承した。心海良寛は、その後、江戸に出て狩野良信に学び、帰郷後も武雄鍋島家の御抱え絵師として卓抜した作品を残している。 |
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