平成26年度 武雄市図書館・歴史資料館企画展

皆 春 斎

 皆春斎は、中世から武雄に居を構えた武雄鍋島家(ただし20代までは後藤を称する)の28代、鍋島茂義(1800〜1862)の雅号です。近海へのロシア船の出没などによって、日本が海防の強化に迫られていた時代、軍事、医学、化学など幅広い分野で蘭学の導入に務めた人物として知られ、その業績を示す資料群は「武雄鍋島家洋学関係資料」として、平成26年に国の重要文化財に指定されました。
 領内や藩の政務に加えて、西洋文明摂取の推進。茂義の日々が多忙な物であったことは想像に難くありませんが、なお多くの趣味も楽しんでいたことが、古老の聞き書きからも伺えます。狩猟、能楽、絵画、鳥・虫等の飼育、鉱石採取、花卉の栽培など、その今日の赴く処は多岐にわたります。
 絵画についても狩野派の流儀を学び、若い頃から晩年まで折々に筆を取っていますが、伝統的な手法に止まらず、飼育・栽培した動植物の図など、写実的な絵も手がけたようです。極めて詳細なスケッチである「植物図絵」「画帖」は、西洋的な絵画の手法を取り入れた資料として、重要文化財に含められました。また、当時最先端の合成絵具、プルシアンブルーやウルトラマリンブルーも、指定資料です。

 今回の企画展では、茂義が描いたとされる絵画を中心に、茂義所用の絵の具等を展示し、文化人としての茂義の一面をご覧頂きたいと思います。以下に、茂義の文化的交流の一端が伺い知れる資料を紹介します。

場所:蘭学・企画展示室(観覧無料)
期日:平成27年2月14日(土)〜3月22日(日)

お知らせ

ご好評をいただいていることから、3月27日(金)まで会期を延長いたします。
ただし、資料保護の観点から開館時間を短縮し、午後5時までの開館となります。
観覧にはご不便をおかけしますが、なにとぞよろしくご了承ください。
また、24日(火)13:30より、追加の展示解説を行います。

担当学芸員のギャリートーク:いずれも13:30〜
2月14日(土)・22日(日)・28日(土)
3月8日(日)・14日(土)・21日(土)・22日(日)



茂義公写画
   
 

茂義公写画

武雄鍋島家資料
武雄市蔵

 一巻に「菅井舎(すがのいしゃ)所蔵之巻/戊午(1858)季冬模之/皆春齋」とあり、探渕の「西行」などが写されている。一巻には「己未(1859) 皆春齋寫」とあり、菫川法眼の「福禄寿」などが写されている。ほとんどが、同時代の狩野派の写しである。
 「菅井舎」は、寛政12年(1800)に造られた小城藩の10代藩主鍋島直堯(なおたか)(1800〜1873)の別邸であることから、小城藩所蔵の絵画を皆春斎(茂義)が模写したものと考えられる。

 
   
茂義公写画より「西行法師」 茂義公写画より「西行法師」 茂義公写画より「雷神」

茂義公写画より「鷺」

茂義公写画より「西行法師」

茂義公写画より「雷神」


探幽写し
   
 

探幽ほか写し

武雄鍋島家資料
武雄市蔵

 探幽斎の「鶴」や「虎」が写されており、佐賀藩が所蔵していた書画類の目録に記載された「中達磨左右鉄拐蝦蟇天祐賛左右龍虎江雪賛左右梅竹大得天室一如賛」の七幅対の写しも含まれる。「探幽齋筆」の署名、「法眼探幽」朱文方内円印・「守信」朱文鼎印等の印、賛文まで同寸大に丁寧に描写されている。市内の旧家に残る「探幽法印画写し」に「文政八酉(1825)十一月十日夜 皆春」と記されたものがあるが、この「探幽ほか写し」の筆者は不詳である。

 
   
探幽ほか写しより「蝦蟇仙人」 探幽ほか写しより「鉄拐仙人」 探幽ほか写しより「龍」

探幽ほか写しより「蝦蟇仙人」

探幽ほか写しより「鉄拐仙人」

探幽ほか写しより「龍」



参考頁
 【皆春齋】へ   【皆春齋の絵道具 】へ   【皆春齋 鍋島茂義の絵と絵の具 】へ 

 【青へのあこがれ 】へ   【皆春齋とその事蹟 】へ 


 武雄の蘭学   過去の企画展へ 

 歴史資料館TOPへ 

Copyright (C) Takeo City Library&Historical Museum