秋月×中津×武雄 特別交流展
伝染病と闘う
種痘の導入と武雄領の医学



 令和元年末から続く新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行はいまだに終息が見通せず、ワクチン接種による免疫獲得に向けた動きが加速しています。
 われわれ人類は古くから感染症に苦しめられてきました。その最たるものが天然痘です。アフリカ由来と言われる天然痘は、中国を経由して日本に伝わり、たびたび大流行しました。感染力が非常に強く死に至ることもある疫病に対し、人々は神に救いを求め、よりよい治療法を追い求めました。
 一方、天然痘に一度罹って治ると、再び罹らないということは知られていました。そのため、健康な人を軽度な天然痘に罹らせる「種痘」がおこなわれました。秋月の緒方春朔は、中国から伝わった「人痘法」を独自に改良し、多くの人に種痘をおこないました。
 1796年、人痘法より安全な「牛痘法」が発明されると、瞬く間に世界に広がり、やがて日本にもやってきます。日本で初めて牛痘種痘を成功させたのは、佐賀藩医の楢林宗建でした。牛痘種痘のワクチンである「牛痘苗」は、蘭学者たちのネットワークにより全国各地へと伝わり、武雄領医の中村凉庵も長崎へ牛痘種痘を学びに行きました。佐賀では、藩主鍋島直正の子息淳一郎(後の鍋島直大)への接種を成功させるなど、藩内での種痘実施を推し進めました。「解体新書」で著名な前野良沢が登場するなど、早くから西洋医学に関心を寄せていた中津では、当時の種痘事業に関する資料が多く残されています。
 1980年、WHOは天然痘撲滅宣言を出し、天然痘は人類が初めて撲滅に成功した感染症となりました。そして、新型コロナウイルスの脅威に晒されている今、わたしたちが感染症に向き合うきっかけとして、本展覧会を開催します。

【お知らせ】2月5日(土)の講演会及びギャラリートーク(全日程)は、中止します。
2月11日の講演会は2月26日(土)14時半からに変更になりました。
会期を3月6日(日)まで延長します。

チラシ

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