蒸気船の研究へ



蒸気船の図

蒸気機関(上)及び船の図(下)

 安政元年(一八五四)、佐賀藩は蒸気船建造を開始、責任者に鍋島茂義を任命しました。
 武雄にも、蒸気船の図(注1)など、蒸気船建造の研究資料と思われる古文書類が残っています。
 蒸気船の図は、安政元年に幕府が輸入した蒸気艇の側面図で、船の両脇に水車がある外輪船と呼ばれるタイプのものです。蒸気機関の図(注2)には、この蒸気船に搭載されたボイラーと外輪が記されています。
 佐賀藩は、蒸気船雛形と俗称されたこの艇を長崎奉行から借り受け、深堀で船手に運用の練習を積ませましたが、第一次海軍伝習の開始に伴い、翌二年八月に返納しました。
 図面と共に残された古文書には、洋書を参考とする際必要不可欠な基礎知識であった度量衡の比較表、晴雨計の図、蒸気船に関する原書や訳書からの抜粋、気圧表などがあります。一部は洋紙で、外国人の手によるものも交じっているようです。
 これらの文書には、「一千八百三十三年」「1841」など、茂義が蒸気船製造責任者に就任する以前の年号も見ることができます。
 古老の聞き書き(注3)では、武雄の馬場磯吉が弘化年間(一八四四年頃)、長崎で蒸気船などの製造法を学び、設計図、差図を作成。川良の鍛治助右衛門に蒸気船、蒸気機関車を作らせたとされます。また、年代は不明ながら、長崎から武雄に蒸気船の図面十二枚を送り、近いうちに模型を送る旨記した古文書(注4)も、市内に残っています。
 これらのことから、武雄が早い時期に蒸気船製造研究に着手し、或る程度の成果を挙げていたことが推測されます。茂義が佐賀藩蒸気船製造の責任者となったのも、こうした背景があってのことだったのでしょう。

※注1 『船関係』(「武雄鍋島家歴史資料目録(続編)」二−307)
※注2 『船関係』(「武雄鍋島家歴史資料目録(続編)」二−304)
※注3 『浄天公附近古武雄史談』(「武雄鍋島文書目録」B−46」)
※注4 今泉文書館蔵



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