御船山

松尾喜三郎(まつおきさぶろう) (1834〜1915)

六角形染付タイル


六角形染付タイル (写真提供:嬉野市)
 嬉野温泉(佐賀県嬉野市)の大衆浴場「古湯」跡(現シーボルトの湯)から2009年に見つかった、松尾喜三郎製作の六角形染付タイル。

 江戸時代の後期になると、小田志(こたじ)(西川登町)で磁器の生産が盛んになります。原料は神六山(じんろくやま)で発見された陶石(とうせき)や、天草(あまくさ)(熊本県)でとれる陶石が使われました。陶石とは磁器の原料となる白い石のことです。小田志ではもともと刷毛目(はけめ)で装飾された陶器の皿や甕が作られており、やきものの技術はありました。しかし磁器を作る技術は有田からあらたに伝わったようです。
 有田は鍋島本藩(なべしまほんぱん)の領地でしたので、有田の陶工は本来よその窯場(かまば)で働くことはできません。しかし規則をやぶってよそへ行き、働いているのがばれてつかまった事件が多く記録に残っています。
 文政一一年(一八二八)八月に佐賀県を大型の台風が襲い、記録的な被害をもたらしました。有田ではこれがもとで大火災となり、千軒以上の家が燃えてしまいました。職を失った陶工は各地へのがれ、小田志へも多数の陶工が来たといわれます。それにより小田志の技術が向上し、磁器の生産が活発になりました。  江戸時代から続いてきた小田志の磁器生産は、明治時代になるとさらに発展し、松尾喜三郎や樋口治実などの名工が生まれました。
 松尾喜三郎は新しい技術を積極的に取り入れ、タイルなどの新しい製品作りに挑戦した人です。天保五年(一八三四)に生まれ、大正四年(一九一五)に亡くなりました。明治初期に印刷技術の一種である型紙摺りを小田志に取り入れ、大量生産の工夫をしました。
 明治二二年(一八八九)には六角形の染付タイルを考案し、嬉野温泉の風呂場に使われました。
 松尾喜三郎の作品には「肥松軒喜三製」と書かれています。肥松軒とは肥前の松尾の意味です。

「武雄のやきもの6・7」(広報たけお平成8年4月・5月号掲載)より抜粋転載

※註:小田志での磁器焼成は文化年間(1807年頃)から。天保14(1843)年には有田内山に次いで良品が焼かれた。

 索引へ戻る 

肥前全図


 歴史資料館TOPへ 

Copyright (C) Takeo City Library&Historical Museum