田中耕太郎 戦後日本初の国際司法裁判所判事
明治23年10月25日鹿児島で生まれる。杵島郡北方町出身。父秀夫が判事として最初に
退官4ヵ月後、国連の機関である国際司法裁判所判事としてオランダのハーグに着任した。日本人としては戦後初めてのことで、昭和36年2月から同45年2月までの9年間におよぶものであった。在任中9件の事件を扱い、中でも南アフリカ共和国の人種差別問題では、裁判の基礎は正義・平和だが、国際問題はスケールが大きく、人種問題の複雑さをつくづくと感じていたようである。
昭和27年北方中学校校歌作詞作曲、昭和42年北方町名誉町民。昭和49年
※この稿については、写真・文ともに武雄市文化連盟寄贈の陶板(武雄市蔵)から転載した。