御船山

石井良一(いしいりょういち) (1869〜1950)

 現在の武雄市武雄町下西山の出身。1884(明治17)年、武雄中学校卒業、1887年から認可間近かの九州鉄道会社の測量技手見習いとなり、1889年8月には正式に入社した。その後、1895(明治28)年5月22日に満25歳で第8代目の博多駅長に就任。翌年には、運送店五を経営する末永寿に懇請して博多駅での駅弁販売を本格的に開始した。博多駅弁丸末商店、現在の寿軒の始まりであり、これが九州での駅弁の始まりとする説もある。この時、弁当に使用した米は、石井の郷里武雄から運ばせたという。また、死傷者39名を出した100年前の1905(明治38)年8月8日の西谷峠列車転落事故では、事故調査委員会のメンバーとして武雄に帰り、状況の把握に努めた。
 石井はその後、帝国鉄道庁参事、大阪市電気鉄道部長などを歴任、1914(大正3)年からは北九州の初代若松市長を二期務めたが、1942(昭和17)年まで留萌鉄道株式会社専務取締役も務め、一貫して鉄道関係の職務に携わったと言っても過言ではない。
 一方、1922年に若松市長を辞して後は武雄に帰り、本格的に郷土史の研究に打ち込んだ。その研究成果は、遺族によって『武雄史』としてまとめられ、残された膨大な原稿とともに、今日もなお、武雄研究の基礎資料として、市民はもとより、研究者にとっても、欠くべからざる貴重な資料となっていることも付記しておきたい。

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