御船山

上野俊之丞 (1790〜1851)


エレキテル


 上野俊之丞の製作と思われるエレキテル
  (武雄鍋島家資料 武雄市蔵)

 長崎の蘭学者。幕末・明治期の写真家上野彦馬の父。江戸時代後期、武雄の科学技術導入に多大の貢献を果たした人物である。1822(文政5)年、長崎の御用時計師の家柄である幸野家を継いだが、1839(天保10)年に上野姓にもどった。
 俊之丞は、技術者としても時計のほか種々の細工物を製作、武雄領主鍋島茂義の、貿易港長崎での買い物帳「長崎方控」にもしばしばその名が登場する。武雄に残された験温器(温度計)にも俊之丞の諱である「上野常足」の銘が記される。また、「長崎方控」1844(天保15)年11月の注文品目の中に、「エレキテル」が見えるが、すぐには武雄に届けられることはなかったらしく、3年後の夏には俊之允からエレキテル製作の見積りを提出させている。結局、1853(嘉永6)年暮れに、ようやく「エレキテル一式 二箱」が武雄にもたらされるが、前後の記述からこれも上野俊之丞製作の国産品と見て間違いない。
 武雄は、高価な西洋の製品を大量に輸入する一方で、資金的な理由からも、その模倣品の製作を上野俊之丞ら、長崎の技術者や職人に請け負わせた。日本人持ち前の手先の器用さから、細工師の腕の良さは更めて論ずるまでもないが、そうした作業のなかで日本の職人の技術は、単なる西洋の模倣にとどまらず、日本の歴史・風土と相俟っていっそうの進化を遂げた。武雄における先進の西洋科学技術の導入は、一方で現代日本の近代的生活様式を創出する先駆をなしたということもできる。

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