御船山

松尾安兵衛(まつおやすべえ)(1837〜1916)


松尾邸


 現在も大庄屋の面影を残す松尾邸(筒井茂雄氏作 個人蔵)

 佐賀県の近代土木事業の先駆をなす人物。その祖は、松尾家の墓誌銘によれば、宝永の頃(1704〜1711)、現在の武雄市若木町大字川古下村の松尾に定住、この地の庄屋を下命、武雄領主から地名の松尾を姓とすることを許されたと伝える。安兵衛の父鶴之助の時、大庄屋となり、苗字帯刀を許され、また武雄領の山林原野の管理を命ぜられて治山・治水・道路整備などに関与し、武雄領主から二人扶持を与えられるなど、信頼を厚くした。
 安兵衛は、邑校身教館に通う一方で、父に漢籍を学んだため自ら漢詩を手がけるほどの教養人であった。また、開明的な気質の持ち主でもあり、1871(明治4)年、断髪令が出るといち早くザンギリ頭で洋服着用という、当時としては思い切ったハイカラ振りで周囲を驚かせたと語られている。
 1885(明治18)年、土木請負を業とする松尾組を創設した。すでに幕末(大庄屋時代)から実績も豊富だったため、創業後も経営は順調で、1900(明治33)年には、佐賀に出張所を開いた。この間、1886年には川古合資会社を、さらに朝鮮にも馬山金融会社を設立して金融業にも乗り出した。一方で、村議や杵島郡議も歴任し地方自治にも貢献、1912(明治45)年には、安兵衛の遺徳を称えるため、地元の人々により若木町に松尾安兵衛翁記念碑が建立された。
 安兵衛は、松尾組創立に際し「よく、安く、早く」のモットーを掲げ、業界の刷新に努めるとともに、明治という新時代にふさわしい最新技術の導入を推し進めるなど、事業の拡大に努め、現在の松尾建設の基礎を築いた。日本航空史に名を残す松尾静麿の祖父にもあたる。

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