平成20年度 武雄市図書館・歴史資料館企画展
日本近海に現れる欧米船への備えのため、武雄が第28代領主鍋島茂義(1800〜1862)の下で蘭学・洋学の導入に着手したのは天保元年頃のこととされています。
当時、欧米から日本へ接近する船は、琉球列島沿いの進路をとっていました。このことから、琉球を支配下に置く薩摩藩もまた、国防への危機感を高めており、嘉永4年(1851)に島津斉彬(1809〜1858)が第11代藩主に就任するや、いわゆる集成館事業に着手。精力的に蘭学の摂取を進めて行きました。また、養女である篤姫を13代将軍の正妻とするなど、幕府内での発言力を強めるための動きも強めます。
武雄の成果を取り込む形で蘭学導入の先進藩となっていた佐賀藩は、技術面などで、薩摩と情報や知識の交流を深めて行くこととなりました。なお、島津斉彬と佐賀藩第10代藩主鍋島直正(1814〜1871)は従兄弟であり、鍋島茂義は直正の義理の兄に当たります。
今回の展示においては、日本が鎖国状態から開国、戊辰戦争を経て明治維新へと続く時代のうねりを迎える前夜、世界の変化にアンテナを向け、新しい知識や技術の導入に腐心した武雄の蘭学導入の動きを展示します。
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