平成29年度 武雄市図書館・歴史資料館企画展

馬、駆ける
〜武雄地域の流鏑馬神事〜

 流鏑馬(やぶさめ)とは、馬に乗り馳せながら的に鏑矢(かぶらや)を射る弓技のことです。もともとは矢馳馬(やばせうま)と呼ばれていたものが時代を経て流鏑馬と呼び名が変わりました。鎌倉時代には走る犬をめがけて馬上から矢を射る犬追物(いぬおうもの)、笠を的にして馬上から矢を射る笠懸(かさがけ)とともに武士の修練の一つとして盛んに行われていました。
 武雄市では、毎年10月23日に武雄神社の流鏑馬が、10月29日に黒髪神社の流鏑馬が供日(秋祭り)の行事として行われています。どちらも歴史が古く、地元の方々の尽力によって伝えられてきました。一つの市で二ヶ所も流鏑馬が現存しているのは珍しいことです。また、武雄市内の他の神社でも過去に流鏑馬が行われていた記録や口伝、流鏑馬の貴重な資料が残っています。
 今回、武雄市図書館・歴史資料館では現在武雄神社と黒髪神社で行われている流鏑馬を中心に、武雄地域で過去に行われていた流鏑馬のこと、武雄鍋島家に伝わる流鏑馬に関連する犬追物や笠懸の資料など、武雄地域の流鏑馬を学ぶ展覧会を行います。
  チラシ(別窓で開きます) 

場所:蘭学・企画展示室(観覧無料)
期日:平成30年2月24日(土)〜4月8日(日)
 
ギャリートーク
3月4日(日)・24日(土) いずれも14:00〜


展示物の一部を下に紹介します。

箙
   
 

(えびら)

江戸時代
武雄鍋島家資料 武雄市蔵

 矢を差し入れて携帯する道具。形や材料は様々であるが、武雄鍋島家に伝わる箙は皮箙である。前面のトンボの意匠については、江戸時代の有職故実書『貞丈雑記』に「箙の前の正面に蜻蛉(とんぼう)の形を象牙にて作りて付くるなり。とんぼうという虫は、飛びありくに、あとへしさらぬ(退らぬ)虫なればこれを用ゆるなり。軍陣には、あとへしさる事をきらう故なり」(東洋文庫『貞丈雑記 3』)と記される。

 
   

   
 

源頼朝袖加判 平盛時奉書

文治2(1186)年3月
武雄鍋島家資料 武雄市蔵

 源平争乱の際に、平氏追討祈願をし、勝利に導いてくれたことを武雄社(武雄神社)に感謝した源氏の頭領、源頼朝の意を受けて、平盛時が武雄神社に差し出した奉書(上位の者の意をその家来が承って下位者に差し出す形式の文書)とされるもの。武雄神社の神官らに感謝し、褒美についても取り計らうという頼朝の考えが書かれている。

 
   
源頼朝袖加判 平盛時奉書

犬追物手組事
   
 

犬追物手組事

天保11(1840)年9月24日
武雄鍋島家資料 武雄市

 武雄鍋島家で行われた犬追物の諸役・的中記録。手組とは正式な犬追物で、射手は12騎からなる手組が3組、犬は総数150匹を用いる。現在の審判にあたる検見(けんみ)には「茂義公」、射手には茂義の異母弟である坂部明矩や家臣の千綿左忠太らの名前が見られる。

 
   

   
 

皮手袋

江戸時代後期
武雄鍋島家資料 武雄市

 武雄鍋島家に伝わる皮手袋。弓を射る時に、指に痛みを感じるのを防ぐために用いるもの。(ゆがけ)とも呼ぶが、『貞丈雑記』には「ゆがけを手袋という事、やぶさめの時に限りたる事なり。『弓馬故実』に見えたり〈やぶさめに限らず、鎌倉時代には、手袋という。『東鑑』の文、末にあり〉」と記される。

 
   
皮手袋


 過去の企画展へ 

 歴史資料館TOPへ 

Copyright (C) Takeo City Library&Historical Museum