武雄から世界へ



~岩倉使節団副使 山口尚芳を知っていますか?~



 明治4(1871)年11月12日、岩倉具視を全権大使とする米欧回覧の使節団が横浜港を出港しました。令和3年は、この岩倉使節団の出発から150周年に当たります。使節団の全権副使の一人に任命されたのは、武雄出身の山口尚芳です。
 武雄鍋島家の家臣であった山口尚芳は、幼少から学問に優れ、長崎で蘭学と英学を学び、他藩の俊才としのぎを削ったと伝えられています。また、近年の資料調査により、武雄からの指示を受けて長崎で活動していた様子も少しずつ見えてきました。
 岩倉使節団の米欧回覧は1年9カ月という長期におよびました。5人の使節のうち、全行程をたどったのは大使の岩倉と山口の二人です。武雄出身の山口は、明治初期の日本において世界の国々を見分し、まさに世界一周をはたした人だったのです。
 帰国後、明治7年に起こった佐賀戦争では海軍の警備兵を率いて佐賀に入り、鎮圧に努めました。その後、明治8年には元老院議官、14年には初代の会計検査院長に就任、さらに明治23年には貴族院議員に勅選されるなど、日本の近代国家形成の過程で大きな役割をはたしました。
 岩倉使節団の派遣から150周年を記念し、山口尚芳の関係資料を展示・紹介するとともに、近代日本の黎明期における山口尚芳の活躍を振り返ります。

チラシ

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