北方の炭鉱閉山50年


燃える石を掘れ!!




 近代以降、日本のエネルギー産業を支えた石炭。石炭は、「燃える石」とも呼ばれ、植物が長い年月をかけて変成されてできた「化石燃料」です。佐賀では、享保年間(1716~1736)に北波多(唐津市)で発見されたのが初めてとされ、宝暦元(1751)年には佐賀藩多久領大崎村(北方町大﨑)の大副山で石炭採掘が開始されました。佐賀藩武雄領でも永島・花島などで採掘がおこなわれていた記録が残っています。
 明治時代になると、国の許可を得た地元有志により、石炭の採掘が継続されました。やがて大規模資本の進出により、各坑区は合併や共同開発が進められ、杵島北方炭鉱や西杵炭鉱などにまとめられました。機械化が進められ、近代石炭産業が確立していきました。また、明治28(1895)年の佐賀―柄崎間における鉄道の開通は、石炭輸送に大きな変化をもたらしました。
 石炭は、戦後のエネルギー政策の転換により、主役の座を石油に取って代わられました。杵島北方炭鉱は昭和39年に閉山、西杵炭鉱も昭和47年に閉山しました。西杵炭鉱が閉山して50年が過ぎるのを記念して、武雄の炭鉱の歴史を紹介する企画展を開催します。

    会  期:令和5年2月25日(土)~3月26日(日) 期間中は無休
    開館時間:日曜日~木曜日は9時~17時、金・土曜日は9時~18時
    ギャラリートーク:3月5日(日)、3月25日(土)
         いずれも14:00~

チラシ

 ちらし (PDFファイル、別窓で開きます)


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