平成29年度 武雄市図書館・歴史資料館特別企画展

明治150年

鍋島茂昌と羽州戦争

 平成29年は、明治元(1868)年から数えて150年になります。
 慶応4(1868)年1月に始まった戊辰戦争に、佐賀藩は新政府軍として参加します。武雄が天保年間から進めていた西洋砲術の研究や訓練が新政府に高く評価され、武雄領主鍋島茂昌(なべしましげはる)が特別に動員命令を受けました。朝廷から藩の一家老に対して勅命が下るのは異例のことでした。
 武雄隊は、当初関東への出向を命じられていましたが、出兵の途中で戦況が悪化した秋田方面(出羽)に変更されました。鍋島茂昌は総司令官に任命され、陣頭指揮にあたりました。アームストロング砲などの最新軍備を擁する武雄隊の活躍は、敵だけでなく味方まで驚かせました。およそ2ヶ月におよぶ戦闘は、別名羽州戦争と呼ばれ、戦病死者14名を出したものの、武雄隊の活躍は新しい時代の転換期において注目すべきものだったといえます。
 明治150年の節目の年にあたり、武雄市図書館・歴史資料館では、武雄に残された資料を中心に、羽州戦争での武雄の活躍を振り返る展覧会を行います。
 

場所:蘭学・企画展示室(観覧無料)
期日:平成29年11月18日(土)〜12月17日(日)
開館時間:金・土日は9時〜21時、それ以外の日は9時〜18時
 
ギャリートーク
11月25日(土)・12月3日(日)・9日(土)・17日(日)
いずれも14時〜

 

展示物の一部を下に紹介します。
 
 

  1.長崎警備と西洋科学技術の導入より


長崎表異船渡来ニ付御越之控
   
 

長崎表異船渡来ニ付御越之控

重要文化財
安政2年(1855)
武雄鍋島家資料 武雄市蔵

 安政2年3月、フランス艦隊司令官モンラベルを乗せたレコルベルトはじめ3艘の船が、また、翌日にはイギリス東インド艦隊司令長官スターリングの乗船するステイクスはじめ3艘の船が長崎に入港した。この資料は、当時、警備のため長崎に出向いた武雄領主鍋島茂昌の動きなどを詳細に記録したもの。

 
   
 
 

  2.戊辰戦争のはじまりより

 
   
 

戊辰戦争絵巻

明治22(1889)年
武雄市蔵

 戊辰戦争は、慶応4(1868)年1月3日、旧幕府軍と新政府軍が京都の南、鳥羽・伏見で激突した戦闘に始まる。資料は、「戊辰正月元日」の京都御所の初日の景から始まり、「会津藩伏見上陸」や「伏見戦争」など、鳥羽・伏見の主要な戦闘場面を描いたものである。明治22年の製作で4巻揃であったものの一巻。

 
   
戊辰戦争絵巻
 
 

  3.武雄軍団の出撃より

 
官軍忠勇千人之内官軍忠勇千人之内「鍋島上総」
   
 
 

官軍忠勇千人之内「鍋嶋上総」

明治時代初期
武雄市蔵

 戊辰戦争に際し、明治政府の命令により武雄軍団を率いて羽州(秋田・山形)方面への出張を命じられた武雄領主鍋島茂昌(1832〜1910)を描いた錦絵(右図)。この肖像は、『官軍忠勇千人之内』に掲載されたもので、戊辰戦争で活躍した多くの人物を紹介したものの1枚。1枚に6人の人物が掲載されている。(左図は4枚綴り)武雄の軍団を率いて羽州(秋田・山形)方面に出兵した武雄領主鍋島茂昌の雄姿が描かれ、「肥前 鍋嶋上総様 肥前の長臣にして文武精隊聞へ高く一方の将帥大任を蒙り出陣不日ニ成功就べし武門出傑の人なり」とする賛辞も添えられる。鍋嶋上総は、茂昌のこと。

 
 
 
 

  4.京都参向より

 
条約・同英文
   
 

条約・同英文

重要文化財
慶應4(1868)年
武雄鍋島家資料 武雄市蔵

 武雄軍団が兵庫港から羽州へ出陣するにあたり、茂昌がイギリス輸送船と取り交わした「條文」(契約書)で、和文・英文の両方が残る。これによれば、蒸気船には500人乗り合いで、兵庫から越後高田までできるだけ急ぎ到着すること、水は蒸気船から分配してもらうこと、米その他の品々は持ち込むようにすること、兵庫出発前に6,450両を支払うこと、越後ではさらに2日の延引もありうること、ただし、1日に300ドルを支払うことなどが約束されている。

 
   
 
 

  5.武雄軍団 秋田を駆けるより

 
スペンサー銃
   
 
 

スペンサー銃

幕末期
武雄市蔵

 用心金(引き金の上を覆って、不意の発射を防止する金具)を兼ねるレバーによって、銃床内の弾倉から薬室に弾薬を送る後装七連発ライフル銃。1860年、アメリカで発明され、南北戦争で大量に使用された。武雄の史料には、オランダ語読みである「スペンセル銃」の名前で登場することが多い。武雄鍋島家文書「オールドえ御注文差引」には「卯(1867)十一月スペンセル百挺受取りの節相渡す」として「弐千五百両」、「辰正月廿一日(1868)スペンセル五百挺、ドンゴロス其外受け取りの節相渡す」として「壱万四千両」などの支払い記録があるなど、武雄ではこの銃を大量に購入、戊辰戦争当時、武雄軍団の銃隊は、士卒にいたるまでこの銃を携行していた。出兵の記録などには、これらの最新の兵器を大量に装備した武雄の部隊は、羽州戦争の場では、他藩の大きな驚きの的であったと記される。

 
 
 
 

  6.武雄軍団の凱旋より

 
   
 

書附

重要文化財
明治2(1869)年
武雄鍋島家資料 武雄市蔵

 鍋島茂昌は、羽州での功績を称えられ、佐賀藩主鍋島直大より太刀一腰・白銀二千枚を拝領した。

 
   
書附
 

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