武雄鍋島家と洋学資料について
武雄鍋島家は中世から武雄地方に居を構え、第20代までは後藤を称しました。
戦国時代末期から江戸時代初頭の混迷期、家内の争いを治めるために龍造寺隆信の助力を乞うたことから、第19代
武雄領の第28代領主
その活動の始まりは天保年間の初め(1830年頃)と考えられます。
天保3年(1832年)には家臣の平山醇左衛門を当時の西洋砲術の第一人者である長崎の
天保11年には神埼において、佐賀藩主鍋島
茂義は、1824年にブレスト(フランス西部の都市)で試射実験が行われ、天保11年に日本に情報が伝わった新型砲ペキサンス砲(ボンベカノン)の試射実験報告書を発注し、弘化2年(1845年)にオランダ語に訳されたものを購入。翻訳して実物大切形とともに直正に献上しています。武雄鍋島家の洋学資料の中には、こうした、茂義の情報収集の能力の高さや最新技術導入への強い意欲が見て取れる資料が数多く含まれます。
また、武雄鍋島家が、砲術以外にも、
こうした資料のうち2,224点が、平成26年3月18日の文化財審議会において、我が国の江戸時代後期における西洋の科学技術の受容に関係する非常に貴重な歴史資料「武雄鍋島家洋学関係資料」として重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申され、8月21日の文部科学省告示第百十号で正式に指定されました。
名 称 | 員 数 | 所有者(所在場所) |
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(重要文化財指定) |
一括 |
武雄市 |
【内訳】 |
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