ナポレオンの伝記



リトグラフ

リトグラフ「フランスの戦い(1814年3月21日)」

 武雄に残る蘭書の中に、『ナポレオンの生涯と行為』(一八一八年刊)と題する一冊があります。一三八冊中唯一の伝記ですが、江戸時代は単なる伝記として扱われていたわけでもないようです。
 ナポレオンが一七九四年にイタリア遠征を行ってから一八一五年にセント・ヘレナ島に流されるまでの戦争を総括してナポレオン戦争と呼びます。ナポレオン戦争は、兵力動員、戦略などの軍事技術に大きな変革をもたらした戦争であり、幕末、日本が導入を図った近代的西洋軍学が実践された始まりと言えます。
 存命中から伝説化されたナポレオンへの関心は日本でも高く、文政元年(一八一八)に頼山陽が『法朗王の詩』を著したのを初めとして、十冊余の伝記が書かれています。
 文久二年(一八六三)、武雄領所有の蘭書を記した『西洋原書簿』でも、「兵書・炮術書・記録書」の項に『ホナバルテ戦争記』の記載があり、ナポレオンの伝記が軍学書として位置づけられていたことを裏付けています。
 また「フランスの戦い」と題するフランス製のリトグラフも残されています。スペイン・ロシアなどの同盟軍は、一八一四年一月にフランスに侵入、三月にはパリを開城して、四月にナポレオンは皇帝を退位、エルバ島に流されます。この画はこの一連の戦いの中の一場面を描いたと考えられます。
 これ以外にも、一八五三〜五六年、ロシアとトルコ・イギリス等の同盟軍との間で戦われたクリミア戦争を題材としたリトグラフもあります。
 こうした戦争画は、日本側への土産品として、オランダ商館員らによって持ちこまれたものと考えられます。


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