三ノ丸窯



蘭引、実験用乳鉢と乳棒

蘭引、実験用乳鉢と乳棒
蘭引と乳鉢の一つに「御薬製方」とあります。

 県立武雄高等学校図書館の地下に、一基の窯跡が眠っています。
 三ノ丸窯跡です。
 現在武雄高校が建っている場所には、かつて武雄鍋島家の居城、塚崎城がありました。三ノ丸窯は天保の始め頃(一八三〇頃)、御庭焼の窯として造られたものです。全長約十三m、最大幅が五m、五段式の登窯です。
 御庭焼には自分でやきものを作る趣味としての窯と、調度を整えるために職人の生産組織をもった窯とがあり、江戸時代にはあらゆる階層に広がっていました。
 三ノ丸窯でも染付の花瓶・皿、獅子の置物などが焼かれ、今に伝えられています。
 けれど、三ノ丸窯の一番の特徴は、ここが西洋科学摂取に大いに活かされたことです。
 理化学実験用具である蘭引なども、ここで焼かれました。蘭引はポルトガル語のalambique(アランビッケ)に漢字を当てたもので、江戸時代に使われた蒸留器具です。昭和三十六年の発掘調査の際にも、蘭引の一部が出土しました。
 武雄鍋島家に伝わる蘭引等には、『御薬製方』の銘があるものも残っています。文化会館の池の辺りに「御薬園」があり、薬草や火薬の研究が進められていたと言われます。三ノ丸で焼かれた蘭引も、器具の一つとして使われていたのでしょう。
 また、ガラス作り、薬品の調合などにも三ノ丸窯が利用され、大砲鋳造に必要な反射炉を築く耐火煉瓦が、ここで焼かれたとも言われます。
 さらに、昭和十一年に書かれた『肥前陶磁史考』によれば、金を材料として桃色を出す試みも、有田に先駆けて行われていたようです。


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