植物学への興味



植物図絵

植物図絵

 武雄鍋島家旧蔵資料の中に、三冊の「植物図絵(注1)」があります。
 江戸時代初期に渡来したと推定され、貝原好古の『和爾雅(わじが)』(一六八八)に、覇王樹・トウナツの名で登場するウチワサボテン、根の皮部が消炎などの漢方治療に用られるボタン、万葉集にも詠われているハマユウなど。多種多様な数百種の植物の姿が写されています。
 中の一冊(注2)に「甲辰」とあることから、弘化元年(一八四四)頃に、描かれたものではないかと考えられます。
 描いた人物は特定できませんが、絵に堪能だった皆春齋(第二十八代武雄領主鍋島茂義)、やや時代は下がりますが、武雄の御用絵師で、嘉永六年(一八五三)から一年あまり、長崎奉行の下で全国に配布される各種の植物を写生したとされる広渡三舟が、候補にあげられます。
 大正末〜昭和初期の聞き書き(注3)によれば、茂義は領内に温室まで備えた薬園を造り、栽培植物を写生して図鑑を編んだそうです。あるいは「植物図絵」も、その作業の一環として描かれたのかも知れません。
 武雄鍋島家には、弘化から文久(一八四四〜六四)頃に作られたさく葉帖四冊(注4)も伝わっています。標本には舶来植物も多く、オランダ語名、ラテン名、それに対応する和漢名、解説などが記されています。また、植物学的に不明なものは、長崎に鑑定も依頼しています。
 江戸時代の日本の植物学は、中国の薬物を日本産のものにあてた中国薬物事典的な本草書をひもとく、本草学が中心でしたが、幕末期の武雄鍋島家の植物への興味には、西洋的な博物学の視点がうかがえます。

※注1 「武雄鍋島文書目録」J−6〜6−3
※注2 (仮)植物図絵(「武雄鍋島文書目録」)J−6−2
※注3 『浄天公附近古武雄史談』(「武雄鍋島文書目録」B−46)
※注4 『浄天公附近古武雄史談』(「武雄鍋島文書目録」I−349・J−7)



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