時計と天文観測



尺時計

尺時計
中央の菱形部分が時刻盤です。

 武雄鍋島家旧蔵資料の中には、四つの時計があります。
 二つは輸入品で、人物像を配したオルゴール時計と、フランス枕とも呼ばれる置き時計です。
 江戸時代の日本は不定時法で、夜明けから日暮れまで、また日暮れから夜明けまでを、それぞれ六等分して一刻とします。一刻は約二時間ですが、日の出、日の入りの季節変化で、その長さは毎日変化します。オルゴール時計の文字盤はこれに対応して、九ツから四ツまでの数字二組が動かせるように改造され、針も一本になっています。置時計は金メッキが施され、三方がガラス張りで内部の機械がのぞけるようになっています。文字盤は定時法対応のままです。
 後の二つは日本で独自に工夫された壁掛時計、尺時計です。時刻盤の数字は、一つが漢数字、一つはローマ数字で刻まれています。
 かつては、これ以外にも「押打時計」「袂時計」など、複数の時計が所有されていたようで、長崎の時計師金子吉兵衛に、たびたび修理を依頼したり、購入のための問い合わせをしたりしています。(注1)
 吉兵衛は時計だけではなく測量器具なども作成していて、武雄にも吉兵衛の銘がある測量器具の部品(注2)、炮砲要器(注3)、真鍮製ポンプ(注4)が残っています。
 また、武雄の家臣江口練平に、長崎で時計の修理法を学ばせたとも言われます。
 時計は、時刻を知るために用いられる一方で、天体観測器具ともなりました。天体の運動を観測するには、時間の経過の計測も必要だったからです。このため、大型の尺時計には、時刻盤に百刻分割表を刻み、日常生活にも、天文用にも使えるようにしたものがあります。
 武雄の尺時計にはこの目盛りがなく、また天体観測を行った記録も見つかっていませんが、天体望遠鏡が残されていること、地上測量のさいも天体観測は不可欠であったことなどから、観測が行われ、これに時計が利用されていたことも、考えられないことではありません。

※注1 『長崎方控』(「武雄鍋島家歴史資料目録(前編)」二−2−10)
※注2 「武雄鍋島家歴史資料目録(後編)」ロ−11・18
※注3 「武雄鍋島家歴史資料目録(後編)」ロ−18
※注4 「武雄鍋島家歴史資料目録(後編)」ロ−37



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