


透明で柔らかな湯ざわりが特徴の武雄温泉は、約1300年前に書かれた「肥前風土記」の中に「郡の西の方に温泉の出る巌(いわや)あり、・・・」と記されたほど歴史ある温泉で、「日本書紀」や「古事記」に登場する勇敢な女帝、神功皇后が太刀の柄(つか)で岩を一突きしたことで湯が湧き出したのが始まりとも言われています。
また、文禄・慶長の役の際には、名護屋城に集められた多数の兵士が武雄温泉を訪れ、戦で負傷した体を癒しました。その時に、他の入浴客に迷惑をかけないようにと豊臣秀吉が兵士向けに示した朱印状「入浴心得」が、現在も武雄温泉新館に残されています。
江戸時代には、長崎街道の宿場町として栄え、歴史上名高い宮本武蔵やシーボルト、伊達政宗や伊能忠敬などが入浴した記録も残されています。温泉の入口に立つ朱塗りの楼門は、竜宮城を連想させる鮮やかな色彩と形で、天平式楼門と呼ばれる釘を一本も使用していない建築物です。
泉質はさまざまな成分が程よく入った弱アルカリ性単純泉。保温性と保湿性に優れ、美肌をつくる泉質として有名です。


武雄のやきものは、文禄・慶長の役の頃、武雄領主が連れ帰った深海宗伝らによって武内町を中心に生産が始まりました。
白い化粧土や緑釉(緑色)、褐釉(茶色)を使用して装飾を施したデザインが斬新であると人気を呼び、日本各地だけでなく東南アジアにも輸出されていました。現在、市内にはおよそ90軒もの窯元があり、伝統的な技法とそれぞれの窯元の個性を生かした多様な作品を生み出しています。平成28年4月には、近隣の7市町と共に「日本磁器ふるさと肥前」として「日本遺産」に認定されています。



武雄市のシンボルのひとつである武雄温泉楼門を中心に広がる温泉街。神秘的なたたずまいの武雄の大楠。そんな古くからあるものに加え、武雄市図書館のような近代的な建物や商業施設も多く共存する町。

住宅地が多いまち。新しく移り住んでくる人達が増える中、伝統的な行事などはきちんと受け継がれている。そこにはちょうどいい田舎暮らしが待っている。

平坦部が多く、稲作や畑作が盛んな地域。農村ならではののどかな景色は住む人はもちろん通りかかった人も癒してくれる。

全国巨木ランキング5位の川古の大楠と豊かな水が象徴的なまち。永野地区の風穴もパワースポットとして人気がある。

地域のつながりが強いまち。世界一の登り窯である飛龍窯では陶芸体験ができる。夏は蛍が飛ぶような田舎の環境で子どもも大人も成長できる。

地元に根付いた伝統を守り、多世代の交流が盛んなまち。
地元で管理しているコスモス街道は、通る人の笑顔を誘うスポットとして人気。

庭木ダムは桜の時期には多くの客でにぎわうスポット。
地元の工芸品として有名な弓野人形。

黒髪山は登山や散策にちょうどいい山。その麓には陶芸家が集まり、陶芸作家村として活動している。国道沿いの道の駅「黒髪の里」では連日多くの客であふれている。

平成29年に武雄バイパスが町の中心部まで延伸。周辺には新築のアパートや住宅が増えてきた。 子育て総合支援センターもあり、子育てやスポーツと元気あるまち。