平成24年度 武雄市図書館・歴史資料館企画展 没後150年 先見の領主 鍋島茂義
鍋島茂義は、第27代武雄領主鍋島茂順の5男として誕生しましたが、兄たちの早逝により第28代領主となりました。家督を継ぐ前、部屋住み時代に藩の請役(国家老)に抜擢されるほどの俊才で、14歳年下の貞丸、後の第10代佐賀藩主鍋島直正の教育係も務めました。 |
場所:企画展示室・メディアホール(観覧無料) |
展示物の一部を下に紹介します。関連図は こちら (別窓 PDFファイル127kb)
先見の領主 鍋島茂義 佐賀藩武雄領の領主(邑主)鍋島茂義は、寛政12(1800)年の10月25日に生まれた。文政5(1822)年には、異例の若さで佐賀藩の請役(家老)に抜擢されるほど有能な人物であったと思われる。また、佐賀藩10代藩主の鍋島直正(1814〜71)の14歳年長で、直正の成長過程においても少なからず影響を与え、文政10年には、直正の姉寵子と結婚した。 参考リンク しげよしってどんな人? 寵徳院子
|
武雄の砲術 鍋島茂義が家督を相続した天保3(1832)年、茂義は長崎の西洋砲術家高島 参考リンク 武雄の時代〜西洋砲術導入の軌跡〜
|
武雄の蘭学資料 武雄では、天保年間(1830〜44)の始め頃から、武雄と長崎を往き来する家臣に命じ、オランダ商館や通詞(通訳)、商人・職人などから、江戸時代唯一の貿易港長崎に集積されるさまざまな物品を購入していた。
|
皆春齋の絵画 皆春齋は、武雄領主鍋島茂義の雅号(文人・学者・画家などが名乗る風雅な別名)である。大正6(1917)年刊の『西肥遺芳』には皆春齋の項に「武雄領主鍋島十左衛門茂義画を善くす、後藤皆春齋と号せり」と記され、大正15年刊の『佐賀先哲遺墨集』には「耕作図」が掲載されています。また、昭和31(1956)年刊の『武雄史』(石井良一著)には「皆春齋が古画を好み小城藩主と古画を交換し賞玩したこと、絵を武雄の絵師良寛心海に学んだこと、現存作品が少ないこと、皆春齋の子で同じく武雄領主となった茂昌も父に絵を学んだこと」が指摘されている。 参考リンク 皆春齋 皆春齋の絵道具
皆春齋 鍋島茂義の絵と絵の具
|
武雄の蘭学 過去の企画展へ
歴史資料館TOPへ
Copyright (C) Takeo City Library&Historical Museum